すべては何かのために vol.5

慎STYLE

サッカーに関わっていく中で初めての事が多かったことを少しずつ書き残していこうと思う。

サッカーをやっていて楽しいとか無我夢中でとかでなかなか感情がマイナスになることがないと思ってる自分の中で、初めて大泣きした試合がある。

子供の時でもなく、高校の3年最後の県大会決勝戦で負けても泣くこともなく笑ってた。

自分でもなぜあのタイミングで感情が高ぶってしまったのかは全然思い出せないが、大人になったファジアーノ岡山でプレーしていた2005年シーズン。

中国地方で優勝して全国大会である地域決勝大会にファジアーノ岡山としては初めての出場の場所だった。熊本に行き、その当時Jリーグに上がるであろう大本命のロッソ熊本(今はロアッソ熊本・・・J2)とグルージャー盛岡(今はいわてグルージャー盛岡・・・J2)との対戦でした。今はその時のチームが全部J2リーグです。時代の流れは激しいです。

結果は2連敗でした。

その時の感想ですが、ロッソ熊本はここがJリーグにいくチームなんだろうなと思わせてくれる選手たちやサポーターでした。元プロ選手は多数居て、スタジアムの4分の3はロッソ熊本カラーの赤色で染まり、応援の迫力は凄まじいものでした。

でもその時のファジアーノ岡山のサポーターは素晴らしく、人数はかなりの差がありましたが想いはロッソ熊本の上でした。

試合開始数分でファジアーノ岡山が先制したのですがその時のスタジアムの静けさは異様な雰囲気でした。そのあとの試合の忙しさは半端ではなかったです。

2試合目のグルージャー盛岡は引き分け以上には出来たゲームでした。お互いに消化試合ではあったのですが県・地域の代表としての責務を果たそうと戦っていたように思います。

その2試合が終わり、ロッカールームで着替えた後、天然芝のコートに戻った瞬間になぜか泣き崩れた記憶があります。

「子供たちに夢を」を掲げ、「岡山にJリーグを」と頑張った1年間で目的を達成できなかった想いが爆発したのかもしれません。その日大きく声を張り上げて応援してくれたサポーターと共に上に行けなかった悔しさ・申し訳なさもあったのだと。自分以外の人のためにサッカーをしたという想いが強かったのでしょう。泣いてる自分に大声で声をかけてくれてたサポーターもいてくれました、酔っぱらってましたけど。そのあとは帰りのバスの中でサポーターからもらったお酒を飲んで帰った思い出はその時にいたメンバーしか分からない永遠です。

全然感動などで泣かない性格だと自分分析してた中での初めての大泣き経験でした。

その後・・・4年後にファジアーノ岡山がJリーグに昇格する(2009年)。

「岡山にJリーグを」を果たす。その1ページに自分が関われてることも嬉しく思う。