すべては何かのために vol.46 「玉ねぎ600」

慎STYLE

手作業の大変さを知る。

効率化をと機械化で作業をする世界になってる中での手作業は貴重。

想いを込めて、一つ一つの行動をする。

時間の使い方も物事の進め方も上手く出来ない自分にとっては過酷ではあるが、プラスに考えるようにすると学びでしかない。

玉ねぎの植え方は植えながら知る。

畝を作り、苗を深く入れないように少しだけ土に入れ込む。

ちょっと手が当たると苗が出てくる。

そしてやり直す。それの繰り返しでした。

地道な作業は続く。

600っていう苗は見た目はそんなに量があるようには見えない。

しかし、やり始めるとなかなか前に進まない。

無くならない。ゴールがほど遠く感じる。

でも玉ねぎが大きく育ち、喜んでる自分もその時に一緒に取る人たちの笑顔を想像するとキツさも自然と無くなる。

心の揺さぶりを面白く思いながらも600を植え終える。

全てには当てはまらないけど、何事も終わりはある。

手作業でやる意味はその時に思った事全てが動くことでしか感じれない事。

機械や少しでも時間短縮するためのモノ・事も大切だけど、そこでは感じれない何かある。

サッカーでは動くことで全てが動く。

止まってる時間はゼロではないが少ない。

動くことで色んな景色見える。

それが楽しいやツラいに繋がる。

玉ねぎ600が100でも変わる思い。

手作業という動きを大切にしたい。

時代が違う方向を示しても、たくさん感じれる選択肢を選びたい。