すべては何かのために vol.54 「BELLEでの思い出」
美作・湯郷・津山
思い出深い場所です。
第二の故郷と言っても良いぐらいに過ごした場所です。
高校は作陽高等学校なので、津山に3年過ごして大学卒業してから社会人1年目は作陽高等学校の事務員(コーチスタッフ)として津山に1年過ごしました。
作陽高等学校の事務員から美作(勝央町)のさとう記念病院で事務員を1年間やりました。
県北には計5年間ほどお世話になってます。
サッカーに明け暮れた毎日だったので、県北で何があるのかとか楽しんだ思い出はさほどありません。
思い出はサッカーでの事のみです。
2022年10月にある方から湯郷に遊びに行こうと言われて、11月の終わりに行ったのが最近のお話し。
メンバー聞けば、2002年から共に湯郷BELLEを盛り上げようと頑張った仲間の名前でした。
湯郷・美作に行くことが減っている今、すごく良い機会でした。
湯郷BELLEは女子チームだったために、男のスタッフなどの受け入れが全く考えになかった当時の体制。
お金ももらえる事もなく、アシスタントコーチとして関わっていた。
何するにしても自分で出す事が多かったので、かなり使ったが今考えれば全ては自分の知識・経験になってるので、良かったと思えるし、出会った人全てが財産になっている。
今回会う人の中で当時スポーツ振興課で働いてた自分よりも少し年上の人にとても良くしてもらってた。
いつもニコニコしてて、どんな場でも明るくしてしまう人。
困ってた事など沢山あったであろうが、そんな素振りも見せずに湯郷BELLEのために動いてくれてた人。
その人とのいつもお互いに言い合う思い出話がある。
鳥取の大会に選手を連れて行って欲しいと当時監督の本田美登里氏に言われて、国体などのいつも試合に出てるメンバー以外の選手を見る事があった。
それをその人と二人で連れて行った事がとても良い思い出になってる。
夏の暑い日に車二台で鳥取に連れていき、大会に参加した。
「あの時よく頑張ったよな」「あのメンバーでよく勝ったよな」と二人で本当によく称える。
自分たちがやるわけでもなく、選手が頑張ってる姿を観ているだけだけど(笑)
いつも試合出ないメンバーがほとんどでこれをどう試合を成り立たせ、勝たせるかが自分の課題でした。
大会がどんなものなのかもレベルがどうなのかもどうしてもいいのかもわからず、ぶっつけ本番で手探りだらけでした。
今までの自分の知識を絞り出し、時間を無駄にすることなく選手を100パーセント以上のパワーが出うように促し、試合に送り出した。
そこでどう選手を送り出したのかは秘密にしておこう。
自分が指導者として試合の戦況をベンチで見つめてるその横でニコニコと「大丈夫」と言ってくれてた。
まだ駆け出しの指導者で試合中に指示はしないと変なこだわりを持ってた自分の横に居てくれるだけでよかった。
サッカー経験もなく、ラガーマンだけどその人が居てくれたから、なんか頑張ってた。
不思議な力をもらえたし、楽しかった。
また選手の頑張りも有り、勝てた。それを二人で喜んだ。
選手たちの生き生きとした顔・姿
勝ってみんなで喜び合う時間
すごく印象に残ってるからこそ、記憶に残る。
数年ぶりにその人と会っても必ずこの大会の話をする。
その話ができることがただただ嬉しい。
共通の深い思い出がある人が居る事はサッカーを続けてきたからだ。
主役じゃなくても思い出に残る映像はある。
その人とはこの話だけでも繋がっていられる。
湯郷BELLEでも思い出はたくさんある。
県リーグで15-0で勝利し、GK以外の選手にゴールを決めさせることが出来て、喜んで帰ったら当時の監督本田美登里氏に怒られた事(笑)
人の力を貰えること・人の時間を頂けること
かけがえのないモノです。